【落書き】往生極楽院とわらべ地蔵(大原)

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以前、大原に行った際に撮っていた写真とパンフレットを見ながら描きました。

現地では描くのが難しかったので、時間を経てから自宅で描きました。

スケッチ

スケッチ内容

■基本情報

制作情報

[制作日]
2018年XX月XX日 落書き/彩色

[道具]
・筆ペン(顔料)
・顔彩
・画仙紙


■考察

平山画伯の「素描」のように描きたくて色をにじませました。

色を塗る前に水を全体に塗って紙を湿らせています。

少ない線と色でも上手く描ければ良い感じにできそうです。

スケッチでもこういう感じを試してみよう。

スケッチ環境

自宅です。

以前、現地を訪れた時に描いた記事は下記です。

この時は「音無の滝」だけ描きました。

場所

概要

往生極楽院は元々三千院とは別でしたが、19世紀に三千院側に吸収されています。

三千院の本尊は薬師如来ですが、往生極楽院には阿弥陀三尊像が置かれています。

創建の由来は諸説あるようです。

・公式ページ
平安時代に恵心僧都源信えしんそうずげんしんが父母の菩提の為、姉の安養尼あんようにと共に建立したと書かれています。

・wikipedia
12世紀末に真如房尼しんにょぼうにが、亡き夫の藤原実衡ふじわらのさねひらの菩提を弔うために極楽院を建立したと書かれています。


わらべ地蔵は平成になってから奉納されたようです。

ナツメ
ナツメ

思っていたより新しい!


■略歴

内容
782‐806最澄が比叡山で開いた「円融房えんゆうぼう」が起源
860伽藍を建て、円融院と称する
1086梶井里かじいのさと(大津)に本拠を移し円徳院と称する
・後に寺を「梶井宮かじいみや」と称する
1156大原に梶井門跡かじいもんぜき政所まんどころが設置
12世紀末真如房尼しんにょぼうにが亡き夫の菩提を弔うために極楽院を建立
1232火災をきっかけに現在の京都市内に移転
1467-1477・応仁の乱で梶井門跡は焼失
・大原の政所を本坊とする
1616極楽院を修理
1698本坊は大原から京都御所の周辺に移転
明治維新・当時の門跡であった昌仁法親王しょうにんほうしんのうが還俗
・寺院内にあった仏像、仏具類を大原の政所に送る
1871・大原の政所は新たな本坊となり「三千院」と改称
・この時に極楽院は三千院に吸収される
1885「往生極楽院」に改称
平成初期石彫刻家の杉村孝氏6体の「わらべ地蔵」を奉納

所在地

最寄り駅は叡山電鉄の「八瀬比叡山口駅」ですが、大原まで7kmほどあるのでバスを使います。

この時は一つ前の「三宅八幡駅」で降りて、バスに乗りました。

調べた結果、その方が早かったからです。

バスで「三宅八幡」から「大原」まで18分程でした。

遠方からJR利用の場合は「京都駅」から地下鉄に乗り換えになります。

地下鉄の「国際会館駅」で、上記と同じバスに乗り換えて「大原」まで20分程になります。

バス停の「大原」から三千院まで15分程です。

以上

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