【スケッチ】肥前名護屋城|7年間の夢の跡

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佐賀県にある肥前名護屋城跡です。
唐津へ旅行に行った時に描いたものですが、失敗してます。

スケッチ

スケッチ内容

■基本情報

名護屋城跡
名護屋城跡
制作情報

[制作日]
2023年08月18日 スケッチ
2023年08月26日 彩色
 筆ペン(うす墨改)で下書き(約5分)
 筆ペン(顔料)で線描(約13分)
 顔彩で彩色(約1時間)

[道具]
・筆ペン(顔料)
・顔彩
・スケッチブック(S33VA)


■考察

南側にある城のかげ溜池から本丸を見た構図です。
V字に残る石垣が特徴的だったので、一番見えそうな所を選びました。

一番の失敗は色塗りです。
石垣のV字があまり目立ってない。
石垣に草がかなり生えていて全体的に緑が多かったのですが、草は無視して石垣を明確に描くべきでした

上手い人のお手本を見たい所ですが、ネットで検索した限りでは見つかりませんでした。

うす墨
うす墨
顔料
顔料

スケッチ環境

お盆休みから少しずらした平日だったこともあり、人は少なかったです。
天守閣や櫓があるわけではないので、混雑するような所ではないかな。

池の周りは木があるので、ちょうど木陰にはなっていました。
ただ、が結構いるので、注意が必要です。
蚊はいなかったけど、羽虫が少しと、サンダルだったので、蟻が登ってきてやっかいでした。

他の季節の写真を見ると、草が少なく、石垣が見えやすかったです。
夏はスケッチし辛い季節だったかもしれません。

場所

名護屋城跡
名護屋城跡

概要

名護屋城は秀吉の唐入りの拠点として築かれた城で、文禄・慶長の役の前線基地として最盛期には10万人を超える規模だったとされています。

ただ、秀吉自身が居たのは1592~1593年の約1年です。
「黄金の茶室」もその間に使われていたようです。


■略歴

内容
1591唐入りの為に築城
1592
文禄元年
文禄の役ぶんろく えきが始まる
  4月:秀吉が名護屋城に着陣
  5月:黄金の茶室で茶会を催す
  7月:大政所死去にともない大阪に戻る
 10月:名護屋城へ出陣
1593・休戦により、文禄の役が終わる
 8月:秀吉が大阪へ戻る
1597
慶長2年
講和交渉が決裂し、慶長の役けいちょう  えきが始まる
1598秀吉の死により慶長の役が終結
1602寺沢広高てらざわひろたかが唐津城の築城を開始
名護屋城を解体し材料として利用
・この時に石垣の四隅を切り崩した
1956町の活性化として「名護屋城天守閣復元計画」を作成
⇒天守閣の復元には至らず
2015天守や本丸をCG化した「バーチャル名護屋城」を開始

所在地

最寄り駅は「西唐津駅」ですが、約14kmあるのでバスで行きます。
バス停は「名護屋城博物館入口」です。

 西唐津駅 バス50分(※) 名護屋城博物館入口
  ※乗換必要な場合あり
   時刻と路線は下記で確認できます。

今回は博多から呼子に寄ってから行く予定だったので、下記の経路で向かいました。

 博多バスターミナル バス90分 唐津大手口バスセンター バス30分 呼子 徒歩60分 名護屋城跡

呼子からバスで向かう予定でしたが、失敗して丁度いいバスが無かったので徒歩で行きました。
坂もあるので真夏はキツかったです。


以上

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