佐賀県にある肥前名護屋城跡です。
唐津へ旅行に行った時に描いたものですが、失敗してます。
- 肥前名護屋城
- 唐津城
スケッチ
スケッチ内容
■基本情報
■考察
南側にある城のかげ溜池から本丸を見た構図です。
V字に残る石垣が特徴的だったので、一番見えそうな所を選びました。
一番の失敗は色塗りです。
石垣のV字があまり目立ってない。
石垣に草がかなり生えていて全体的に緑が多かったのですが、草は無視して石垣を明確に描くべきでした。
上手い人のお手本を見たい所ですが、ネットで検索した限りでは見つかりませんでした。
スケッチ環境
お盆休みから少しずらした平日だったこともあり、人は少なかったです。
天守閣や櫓があるわけではないので、混雑するような所ではないかな。
池の周りは木があるので、ちょうど木陰にはなっていました。
ただ、虫が結構いるので、注意が必要です。
蚊はいなかったけど、羽虫が少しと、サンダルだったので、蟻が登ってきてやっかいでした。
他の季節の写真を見ると、草が少なく、石垣が見えやすかったです。
夏はスケッチし辛い季節だったかもしれません。
場所
概要
名護屋城は秀吉の唐入りの拠点として築かれた城で、文禄・慶長の役の前線基地として最盛期には10万人を超える規模だったとされています。
ただ、秀吉自身が居たのは1592~1593年の約1年です。
「黄金の茶室」もその間に使われていたようです。
■略歴
年 | 内容 |
---|---|
1591 | 唐入りの為に築城 |
1592 文禄元年 | ・文禄の役が始まる 4月:秀吉が名護屋城に着陣 5月:黄金の茶室で茶会を催す 7月:大政所死去にともない大阪に戻る 10月:名護屋城へ出陣 |
1593 | ・休戦により、文禄の役が終わる 8月:秀吉が大阪へ戻る |
1597 慶長2年 | 講和交渉が決裂し、慶長の役が始まる |
1598 | 秀吉の死により慶長の役が終結 |
1602 | ・寺沢広高が唐津城の築城を開始 ・名護屋城を解体し材料として利用 ・この時に石垣の四隅を切り崩した |
1956 | 町の活性化として「名護屋城天守閣復元計画」を作成 ⇒天守閣の復元には至らず |
2015 | 天守や本丸をCG化した「バーチャル名護屋城」を開始 |
所在地
最寄り駅は「西唐津駅」ですが、約14kmあるのでバスで行きます。
バス停は「名護屋城博物館入口」です。
西唐津駅 ⇒ 名護屋城博物館入口
※乗換必要な場合あり
時刻と路線は下記で確認できます。
今回は博多から呼子に寄ってから行く予定だったので、下記の経路で向かいました。
博多バスターミナル ⇒ 唐津大手口バスセンター ⇒ 呼子 ⇒ 名護屋城跡
呼子からバスで向かう予定でしたが、失敗して丁度いいバスが無かったので徒歩で行きました。
坂もあるので真夏はキツかったです。
以上
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