【スケッチ】永観堂(禅林寺)|紅葉の名所!

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京都市左京区にあるお寺で、古くから「もみじの永観堂えいかんどうと呼ばれる程の紅葉の名所です。
存在は知っていましたが、初めての拝観です。

スケッチ

スケッチ内容

■基本情報

永観堂
永観堂
永観堂
永観堂
制作情報

[制作日]
2023年11月26日 スケッチ
2023年12月02日 彩色
 筆ペン(顔料)で線描(約20分)
 顔彩で彩色(約40分)

[道具]
・筆ペン(顔料)
・顔彩
・和紙(はがきサイズ)


■考察

下描きは無し。
隅っこで描いていたとは言え、人が多かったので早めに切り上げました。

多宝塔がちょっと大きくなった。
他はまぁ、こんなもんかな。

スケッチ環境

紅葉シーズンなので、混雑していました。
画仙堂とトイレの間に行き止まりで人が来ないスペースがあったので、そこから描きました。

場所

画仙堂から多宝塔
画仙堂から多宝塔
多宝塔から画仙堂
多宝塔から画仙堂(中央下)

概要

永観堂えいかんどう」として知られていますが、正式には禅林寺ぜんりんじです。
中興の祖である永観律師ようかんりっしにちなみ「永観堂」と呼ばれています。

「えいかん」は漢音、「ようかん」は呉音で、仏教用語は呉音が多いようです。
「永観堂」は後世に一般的な読み方で広まった、ということかな。

建立当時は真言宗でしたが、永観律師により念仏の寺となり、浄土宗の寺として現在に至ります。
ご本尊は顔が左を向いている珍しい阿弥陀如来で、「みかえり阿弥陀」と呼ばれています。


永観堂の風景です。
見頃のタイミングで良い感じでした。


■略歴

内容
853空海の高弟である真紹しんしょうにより真言宗の道場として建立
歌人の藤原関雄ふじわらのせきおの山荘を買い取り、敷地にあてる
863清和天皇から「禅林寺」の寺号を賜わる
1044永観が11歳で禅林寺の深観じんかんに弟子入り
後に念仏の寺となり、中興の祖とも言われる
「永観堂」の由来になる
1082「みかえり阿弥陀」の逸話
永観が阿弥陀如来の周りを行道*していた所、阿弥陀如来が一緒に行道を始めた
驚いた永観が歩みを止めると阿弥陀如来は振り返って一言、「永観遅し」と言った
それ以来、首の向きが左向きになったと言う
*行道ぎょうどう=仏の周りを右回りに巡りながら読経などをすること
1111永観が遷化*
*遷化せんげ=高僧が亡くなること
1467-69応仁の乱により被災
1472-97後土御門ごつちみかど天皇、後柏原ごかしわばら天皇により復興
1870浄土宗西山派せいざんは(光明寺)と浄土宗鎮西派ちんぜいは(知恩院)が統一
1876・浄土宗西山派と浄土宗鎮西派が再び分裂
・浄土宗西山派が四本山制となる
 1. 西谷流・光明寺が西本山
 2. 西谷流・禅林寺が東本山
 3. 深草流・誓願寺が北本山
 4. 深草流・円福寺が南本山
1919浄土宗西山派が三つに分裂
 1. 浄土宗西山光明寺派(光明寺)
 2. 浄土宗西山禅林寺派(禅林寺)
 3. 浄土宗西山深草派(誓願寺)
 ※円福寺は1883年に愛知県岡崎市の妙心寺と寺号を交換
1928多宝塔が完成

所在地

電車の最寄り駅は市営地下鉄の「蹴上駅けあげ  」で、そこから徒歩で約15分です。
京阪の「三条駅」から徒歩で約35分です。
京阪の「三条駅」、「祇園四条」からバスもありますが、混雑している可能性が高いです。

「京都駅」からならバス一本で近くまで行けます。


以上

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