京都市左京区にあるお寺で、古くから「もみじの永観堂」と呼ばれる程の紅葉の名所です。
存在は知っていましたが、初めての拝観です。
スケッチ
スケッチ内容
■基本情報
■考察
下描きは無し。
隅っこで描いていたとは言え、人が多かったので早めに切り上げました。
多宝塔がちょっと大きくなった。
他はまぁ、こんなもんかな。
スケッチ環境
紅葉シーズンなので、混雑していました。
画仙堂とトイレの間に行き止まりで人が来ないスペースがあったので、そこから描きました。
リンク
場所
概要
「永観堂」として知られていますが、正式には「禅林寺」です。
中興の祖である永観律師にちなみ「永観堂」と呼ばれています。
「えいかん」は漢音、「ようかん」は呉音で、仏教用語は呉音が多いようです。
「永観堂」は後世に一般的な読み方で広まった、ということかな。
・訓読み
もともとの日本語に漢字を当てた
・音読み
中国語の読み方
呉音、漢音、唐音など(下記参照)
建立当時は真言宗でしたが、永観律師により念仏の寺となり、浄土宗の寺として現在に至ります。
ご本尊は顔が左を向いている珍しい阿弥陀如来で、「みかえり阿弥陀」と呼ばれています。
永観堂の風景です。
見頃のタイミングで良い感じでした。
■略歴
年 | 内容 |
---|---|
853 | 空海の高弟である真紹により真言宗の道場として建立 歌人の藤原関雄の山荘を買い取り、敷地にあてる |
863 | 清和天皇から「禅林寺」の寺号を賜わる |
1044 | 永観が11歳で禅林寺の深観に弟子入り 後に念仏の寺となり、中興の祖とも言われる 「永観堂」の由来になる |
1082 | 「みかえり阿弥陀」の逸話 永観が阿弥陀如来の周りを行道*していた所、阿弥陀如来が一緒に行道を始めた 驚いた永観が歩みを止めると阿弥陀如来は振り返って一言、「永観遅し」と言った それ以来、首の向きが左向きになったと言う *行道=仏の周りを右回りに巡りながら読経などをすること |
1111 | 永観が遷化* *遷化=高僧が亡くなること |
1467-69 | 応仁の乱により被災 |
1472-97 | 後土御門天皇、後柏原天皇により復興 |
1870 | 浄土宗西山派(光明寺)と浄土宗鎮西派(知恩院)が統一 |
1876 | ・浄土宗西山派と浄土宗鎮西派が再び分裂 ・浄土宗西山派が四本山制となる 1. 西谷流・光明寺が西本山 2. 西谷流・禅林寺が東本山 3. 深草流・誓願寺が北本山 4. 深草流・円福寺が南本山 |
1919 | 浄土宗西山派が三つに分裂 1. 浄土宗西山光明寺派(光明寺) 2. 浄土宗西山禅林寺派(禅林寺) 3. 浄土宗西山深草派(誓願寺) ※円福寺は1883年に愛知県岡崎市の妙心寺と寺号を交換 |
1928 | 多宝塔が完成 |
所在地
電車の最寄り駅は市営地下鉄の「蹴上駅」で、そこから徒歩で約15分です。
京阪の「三条駅」から徒歩で約35分です。
京阪の「三条駅」、「祇園四条」からバスもありますが、混雑している可能性が高いです。
「京都駅」からならバス一本で近くまで行けます。
以上
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