
京都の相国寺にある承天閣美術館の感想です。
入口で靴を脱ぐ珍しい美術館です。
足元が楽になるので、よりリラックスして鑑賞できるのが良いです。
概要
展覧会 | 期間 |
---|---|
[企画展] 若冲と応挙 | 2023/09/10 ~ 2024/01/28 Ⅰ期:23/09/10~23/11/12 Ⅱ期:23/11/19~24/01/28 |
相国寺所蔵の伊藤若冲と円山応挙の作品に関する企画展です。
二期の構成になっており、Ⅰ期が応挙、Ⅱ期が若冲がメインになっています。
- 第一章 相国寺と若冲
見所:「動植綵絵」、「釈迦三尊像」 - 第二章 若冲の画技
見所:「鹿苑寺大書院障壁画」※Ⅱ期 - 第三章 応挙の画技
見所:「七難七福図巻」※Ⅰ期
館内の窓には若冲の鶏が貼ってありました。
6月の「観音懺法」と呼ばれる行事で実際に掛けられている様子が紹介されています。
本尊は明兆の「白衣観音」で、両側に若冲の「釈迦三尊像」から文殊菩薩像、普賢菩薩像、そして、「動植綵絵」が周囲を囲んでいます。


巡回展
・なし
感想
「動植綵絵(コロタイプ複製)」の全三十幅が揃っているので見応えがあります。
全部が細かいので見るたびに新たな発見があります。
ジブリ映画みたいに長く楽しめます。
展示されている「動植綵絵」は2006年から6年かけて作成された複製品です。
複製品と言うとちょっと下に見がちですが、侮ってはいけません。
知らなければ殆どの人は気付かないと思います。
展示はガラス越しなので、全くわかりません。
単眼鏡を使ってますが、よく見れば胡粉の厚みが無いかな、くらいしか言えないです。
まぁ、わかる人にはわかるとは思います。
いずれにせよ、複製=マイナスだと思わず、楽しんだもの勝ちだと思います。
・コロタイプ
フランスで生まれた写真印刷の一種。
手間がかかるが精密な表現が可能で、コロタイプインクという特殊なインキにより、耐久性も高くなっている。
下記は動植綵絵の複製を行った便利堂コロタイプ工房の解説です。
Ⅰ期とⅡ期で見どころが変わるので、おそらくⅡ期も行きます。
伊藤若冲|動植綵絵(コロタイプ複製)【落書】
No | 作家名 | 作品名 | 年 | 期間 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
右五 | 伊藤若冲 | 動植綵絵「蓮池遊魚図」 | 1761-1765 | 通期 | 第1章 相国寺と若冲 |
左五 | 伊藤若冲 | 動植綵絵「秋塘群雀図」 | 1757-1760 | 通期 | 第1章 相国寺と若冲 |
「動植綵絵」は15幅ずつの対になっています。
「蓮池遊魚図」と「秋塘群雀図」が対になっており、生き物の群れが描かれていて、1匹(羽)だけ違うという共通点があります。
「蓮池遊魚図」では1匹だけ熱帯魚のように綺麗な魚がいます。
調べてみるとオイカワという淡水魚でした。
上の9匹は鮎のようです。
オイカワは普段から綺麗な色をしているわけではなく、夏の繁殖期にのみ「婚姻色」と呼ばれる色になるようです。
「秋塘群雀図」では1羽だけ白い雀がいます。
普通の雀が71羽で、合計72羽です。
薄っすら黄色の部分があるので、裏彩色で金色を塗っていそうです。
・裏彩色
絹の裏から色を塗り、微妙な色表現をする技法。
白い雀は見たことないですが、突然変異だとありえるようです。
伊藤若冲|中鶏左右梅図
No | 作家名 | 作品名 | 年 | 期間 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
右五 | 伊藤若冲 | 中鶏左右梅図 | 1789 | Ⅰ期 | 第一章 相国寺と若冲 |
左右の梅はどちらも折れて途中までしかない。
虫食いの葉など、不完全なものを描く若冲らしい作品だと思った。
西洋画で言う「ヴァニタス(空虚、空しさ)」かな。
円山応挙/祐常|七難七福図巻
No | 作家名 | 作品名 | 年 | 期間 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
18 | 円山応挙 | 七難七福図巻 天災巻、人災巻、福寿巻 | 1768 | Ⅰ期 | 第三章 応挙の画技 |
18 | 円山応挙 | 七難七福図巻 画稿 | 江戸時代 | Ⅰ期 | 第三章 応挙の画技 |
18 | 祐常 | 七難七福図巻 下絵 | 江戸時代 | Ⅰ期 | 第三章 応挙の画技 |
人災巻で残酷なシーンが多かったです。
特に牛引きの刑では血の赤が鮮やかで、見ていて怖かったです。
画稿の中にも同じ場面が描かれてましたが、やはり色が有るのと無いのでは全く違いますね。
福寿巻で献上品と思われる箱に「諸白」という字が書いてあり、知らなかったのですが、お酒でした。
・円満院祐常(1723-1773)
二条家に生まれて、後に出家し、近江(滋賀)の円満院の大僧正となる。
円山応挙の才能を早くから見出し、援助する。
応挙の草創期にあたるこの頃を「円満院時代」とも言う。
自身も応挙から絵を学んだ。
どこかのコメントで、「難は民衆で、福は貴族が描かれている」といった意見がありました。
言われてみればそうだった気がします。
祐常は良いとこの出なので、民衆の幸福が想像できなかったかも。
民衆の幸福は願っていたんだとは思いますが、貴族の裕福な暮らし以外の幸福を知らなかったのかもしれません。
祐常|萬誌【落書】
No | 作家名 | 作品名 | 年 | 期間 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
19 | 祐常 | 萬誌(丹頂) | 江戸時代(1767) | Ⅰ期 | 第三章 応挙の画技 |
祐常が日常の出来事を記した雑記帳のようなもの。
円山応挙に関する記載もあり、貴重な資料になっています。
中には画(スケッチ)も残されており、展示されているのは丹頂鶴の画でした。
体の部位ごとで説明付きで書かれていました。
時々見かける画家のスケッチ帳のような感じでした。
萩兎蒔絵茶箱【落書】
No | 作家名 | 作品名 | 年 | 期間 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
31 | – | 萩兎蒔絵茶箱 | 江戸時代 | 通期 | 第三章 応挙の画技 |
耳が長過ぎ!
螺鈿で兎のシルエットが描かれているのですが、斬新なデザインです。
何故こんなに長くなったのだろうか。
丁度いい形の螺鈿があったのかな?
以上
コメント