【スケッチ】東本願寺(御影堂)

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京都にある東本願寺の御影堂ごえいどうのスケッチです。

先月に西本願寺を描いたので、東本願寺も描きたくなりました。


先月描いた西本願寺は下記です。

スケッチ

スケッチ内容

■基本情報

東本願寺(御影堂)
東本願寺(御影堂)
制作情報

[制作日]
2019年07月21日 スケッチ/彩色

[道具]
・筆ペン(青墨)
・顔彩
・和紙(はがきサイズ)


■考察

西本願寺と同じように2枚並べてワイドに描いてみました。

左右に並べた時のことも考えて、角度は左右を分けました。

手前が御影堂で、奥が阿弥陀堂になります。

西本願寺と御影堂、阿弥陀堂、書院の配置が南北で逆だったので丁度良かったです。

西本願寺と同じようにシンプルな画風で描いてます。

線は少な目で、色もシンプルにできたので、まぁ、悪くはないかなと思っています。

こっちも横のサイズが短いです。

まぁ、西本願寺のスケッチとはサイズ感が合ったのでいいかな?

スケッチ環境

境内が広いので、描くスペースには困りません。

前に行き過ぎなければ観光客の写真撮影の邪魔にならないです。

混雑しているわけではないので、描き辛いことはないです。

場所

東本願寺(御影堂)
東本願寺(御影堂)

概要

浄土真宗大谷派の本山で、ご本尊は阿弥陀如来です。

御影堂には親鸞聖人の「御真影ごしんねい」(木像)が安置されています。

東本願寺は通称で、正式名称は「真宗本廟しんしゅうほんびょう」です。

京都駅のすぐ真北にあるので、行きやすい所です。

元々は西本願寺が本願寺でしたが、後から東本願寺が分離したことで、西本願寺、東本願寺と呼ばれるようになりました。

ちなみに、その時に東本願寺に土地を寄進したのが徳川家康です。

本願寺と豊国神社が豊臣側だったで、間に徳川側の集団を置くことで分断を狙ったという話も聞いたことがあります。

元々、本願寺内部で対立があり、そこに徳川家康が目を見つけたようです。

ありそうな話ですね。

駅から近いせいか、東本願寺の方が印象が強いのですが、信者数は西本願寺が上回ってました。

  • 西本願寺:約783万人(2021年)
  • 東本願寺:約734万人(2021年)

■略歴

内容
1570本願寺と織田信長により石山合戦が始まる
1580大坂本願寺が織田信長に明け渡し後も全焼
1591豊臣秀吉が本願寺に現在の西本願寺の地を寄進
1592・本願寺十一代 顕如けんにょが示寂
・長男の教如きょうにょが本願寺を継承
1593・教如が豊臣秀吉の命により退隠
・三男の准如じゅんにょが継承
1602・徳川家康が教如に現在の東本願寺の地を寄進
・准如の西(本願寺派)と、教如の東(大谷派)に分立
1658阿弥陀堂・御影堂(以下、両堂)を再建
1788天明の大火により両堂が焼失
1798両堂が再建
1823出火により両堂が焼失
1835両堂が再建
1858京都大火により焼失
1860両堂が仮堂で再建
1864禁門の変で両堂が焼失
1895両堂が再建

所在地

最寄り駅はJRの「京都駅」です。

そこから徒歩で5分程です。

以上

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