【スケッチ】西本願寺(御影堂)

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京都にある西本願寺の御影堂ごえいどうのスケッチです。

東本願寺と並び、京都を代表する立派なお堂です。


西を描いたのなら東も、ということで翌月に東本願寺も行きました。

スケッチ

スケッチ内容

■基本情報

西本願寺(御影堂)
西本願寺(御影堂)
制作情報

[制作日]
2019年06月08日 スケッチ
2019年06月09日 彩色

[道具]
・筆ペン(青墨)
・顔彩
・和紙(はがきサイズ)


■考察

2枚並べてワイドに描いてみました。

屋根が大きくて迫力があるので、画面が大きい方が映えると思いました。

手前が御影堂で、奥が阿弥陀堂になります。

線は少な目で、色もシンプルにしてるので、画風的にはこんなものかな。

ただ、明らかに横のサイズが短いです。

何で気付かなかったんだろう。

スケッチ環境

境内が広いので、描くスペースには困りません。

前に行き過ぎなければ観光客の写真撮影の邪魔にならないです。

混雑しているわけではないので、描き辛いことはないです。

場所

西本願寺(御影堂)
西本願寺(御影堂)

概要

浄土真宗本願寺派の本山で、ご本尊は阿弥陀如来です。

御影堂には親鸞聖人の木造が安置されています。

西本願寺は通称で、正式名称は「龍谷山りゅうこくざん 本願寺」になります。

京都駅の近くで、観光名所としても知られています。

東本願時の方が京都駅の真北にあるので、行きやすいのは東本願寺です。

元々は西本願寺が本願寺です。

後から東本願寺に分離したことで、西本願寺、東本願寺と呼ばれるようになりました。

ちなみに、その時に東本願寺の土地を寄進したのが徳川家康です。

本願寺と豊国神社が豊臣側だったで、間に徳川側の集団を置くことで分断を狙ったという話も聞いたことがあります。

元々、本願寺内部で対立があり、そこに徳川家康が目を見つけたようです。

ありそうな話ですね。

駅から近いせいか、東本願寺の方が印象が強いのですが、信者数は西本願寺が上回ってました。

  • 西本願寺:約783万人(2021年)
  • 東本願寺:約734万人(2021年)

■略歴

内容
1570本願寺と織田信長により石山合戦が始まる
1580大坂本願寺が織田信長に明け渡し後も全焼
1591豊臣秀吉が本願寺に現在の西本願寺の地を寄進
1592・本願寺十一代 顕如けんにょが示寂
・長男の教如きょうにょが本願寺を継承
1593・教如が豊臣秀吉の命により退隠
・三男の准如じゅんにょが継承
1596地震により御影堂が倒壊
1602・徳川家康が教如に現在の東本願寺の地を寄進
・准如の西(本願寺派)と、教如の東(大谷派)に分立
1617失火により阿弥陀堂・御影堂(以下、両堂)などが焼失
1618阿弥陀堂の仮御堂が再建
1636御影堂が再建
1760阿弥陀堂が再建
1985阿弥陀堂の修復が完成
2009御影堂の大修復が完成

所在地

最寄り駅はJRの「京都駅」です。

そこから徒歩で15分程です。


以上

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